人の持つ価値観と言うのは、全て自分でその価値でを決めているはずである。それは物もお金も人も全てを自らの価値観で決めている。今のこの世、店頭に並ぶ野菜や魚など全て値が決まっており、人はその値で取引をするが、その値は価値を表すものでは無い。しかし人は、安い物に価値を求め、その物自体の価値を無視し、安価のみを求める。生活の為と安価を求める者もいるのだが、それでは物の価値も下げている事を人は気付いていない。お金とは欲しいものに自らの価値を表わすもの。自分が好きな物には高くてもお金を使うであろう。それが本来のお金の生かし方である。お金は貯めるものでもなく回すもの。しっかりとしたお金の使い方をすればお金は戻ってくるもの。損得で物を購入すれば負の循環が生まれ、そのお金はいずれ無くなるものなのだ。この世は循環をさせなければいけない世界でもある。日々使っている家電であったり、お金であったり、その他沢山の物があるが、その様々な物は常に循環しなければ生きられないものでもある。電気も循環から成り立ち、お金にもまた循環がある。この世で学ぶ事の1つには循環と言うものもまた習わなければいけないのだ。この物の価値と言うものにも循環があるのだ。自らの損得で考えるお金の使い方をすればその物は安価なものにしかならず、人もまたその物に愛情を注ぐ事は出来なくなる。気に入るものを高く買えばそれだけ大切にし、長く使おうとするはずである。それがその物の命を大切に扱う事につながり、自らの心も満たされるのだ。ただただ目先の安価を求めるのなら必ず悪循環が芽生えてしまうものであると覚えておきなさい。お金が無いものに高く払えとも言わんが、安価でもその物の価値をしっかり見出だし購入する事。お金が無い者でも循環はさせねばならんぞ。出来る循環から始めれば良い。しっかりとその物自体の自分の価値観を明確にし、しっかりとしたお金の使い方が大切なのである。
その価値観はもちろん人にもある。人は皆、相手の価値を感じ接しているはずである。友達、恋人、夫婦、家族、同僚全てに自らでその価値観を決めているのだ。そして人は価値観の高い者を優先的に大切にしているはずである。もし、友人と喧嘩をすればすぐ価値は下がる。仲直りすればまたその価値も戻る。その価値観はもちろん大切なことであるが、人が価値を求めたくない嫌な者、うるさい者にも自らに必要な学びがあり、人には嫌いな者にでも価値を見出さなければいけないのだ。気に入らない、嫌い、鬱陶しい。それだけで人の価値は分からないはずである。それはダイヤモンドの原石の価値を知らない事と同じであり、言わば何の石かも分からず高価な物を捨てる事と同じように、人はその相手を切り捨ててしまう。しかし、磨けば高価な物なのだ。表向きにその者を見ていても何もその価値は分からないのである。人は相手を受け入れないが為に高価な物を捨てる。勿体ない生き物である。嫌いな物にも価値はある。嫌いだからと言っていても高価なものには変わらない。だからこそ受け入れ、その価値をまずは探すが良い。自らの心がどの様に見ているのか?それが全ての価値観であり、その自ら持つ価値観、その目も成長させなければ循環など生まれないのだ。しっかりと考え、良い循環を生むが良い。
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