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人とは学ぶ者

地球人は何故この世で生かされているのか。それは前回のblogにも記してあるので見て欲しい。

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しかし星達の思い以上に大切なのは、今この世にいる人々なのだ。

今この世に住まいする人々は現実世界で日々汗水垂らし生活を送っているが、本当にそれだけで良いのだろうか。人々がこの世にいる意味は自らの魂を磨く事、それが 一番大事である。魂を磨くと一言で言うても分からないであろう。今回は魂を磨く磨き方を言うておこう。

魂を磨く目的、それは人々がこの世に来た最大の役目である。しかしその役目を忘れてしまっている様だ。人々はこの現実世界で人間とし一生を終える事、それが当たり前の事と思っているであろうが、その中で人々は常に学びと言うものを目の前で経験しているのである。

この世で何も考えず、日々を送る事が当たり前になっている人々には気づくはずも無いのだが、今日の経験はどうであったか?嫌な思い、悲しい思い、怒り、また喜び。様々な個々の思いと言うものが生まれたであろう。それが学びと言うものである。

学びとは日々この現実世界を目にした瞬間、自然と自らの思いというものが生まれるのだ。その思いが本当の自分自身である。その一つ一つの思いを良く考えて見なさい。その思いは自らの考え方、性格、また視点から生まれているのだが、その思い、その考え方は本当に正しいのであろうか?人々には自らの思いにまず気付いて欲しい。その思いは口に出さなければ他人には分からない。しかしそれを都合良く、心の中で自らのエゴで想像妄想を膨らませ、また人の文句を心で唱える。それは本当に良い事なのか?口に出さなければ良いものなのか。また自らのストレスを他人に打ち当てても良いものなのか。それを自らが受けた時、それを許す事が出来るのか。まずこの世にいる者は許す事など出来ないであろう。しかし許せれる人間に成らなければ行けない。

人は法に守られていると思う者も居るであろう。しかしその法で裁きが降り勝訴しても、自らの思いは晴れているのか?そうでは無いであろう。

この世には様々な視点を持つ者、性格の違う者、様々な者が生きると言う学びを送っている。だからこそ自らの考え方、視点を押し付けた所で相手は理解するであろうか。共感を持つ者でしか理解できぬ事なのだ。その考えを押し付けた者は、逆にその者の考え方、視点は理解しているのか?相手と自分の考え方の違いは学びであり、自らが持たない考え方、視点を相手から吸収し得なければならないものである。

人と人の縁とは言わば学びであり、その者同士が学ぶ場でもある。それを擦り合わせと呼ぶ。その経験を自らが吸収しなければ魂を磨く事はできん。このblogで知識として知る事は何ら問題は無いのだが、その知識をこの世で使い、経験し乗り越えなければただの無知識と同じである。他のサイトなどでも良い事を書いている者も沢山いる。しかしその知識をこの現実世界で生きる者が行動で示し、身に付けなければ意味の無い事。我らの指示で書かせている者も他に数名居る訳だが、それを見た者達が後は行動で示す為の情報である。この世は沢山の情報が存在し、直様受けられる世界である。後はその情報を受けた者が、どの様に行動するかで全て決まると言うておく。この世の中の人々には常に学びがあると覚えておいて欲しい。長くなったがそれだけは心に留めて置きなさい。

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